お客様の声
竹村家の新築 「思うままに」
東さんとお世話になった皆様へ
今から遡ること4年前、相当老朽化していた我が家でしたが、私が定年(60歳)を迎える年が、亡き父がこの地南森本に初めて自分の持ち家として新築した年から数えてちょうど五十年、そんな節目で、家を建てようかなと漠然と思っていました。そんな矢先の2007年3月25日、M6.9のあの能登半島地震が起きたのでした。日曜日の午前中ということもあって、家族全員たまたま茶の間にいましたが、その横揺れには、柱がマッチ棒のように思えました。「これは本当に真剣に考えないと・・・」と、それから暇をみては、本屋で住宅建築の本を立ち読みしたりしましたが、これといった決め手も当てもないまま1年が過ぎました。そんな折、二十数年通っている馴染みの飲食店で親しくお付き合いさせて頂いている東さんに相談してみようと思いつきました。建設会社の社長さんであることは知ってましたが、お互い「プライベートな時間で仕事の話はしたくない」という思いは同じで、どのような会社でどこにあるかさえ知りませんでした。丁度そのころ、その馴染みの飲食店が、新幹線開通による立ち退きに遭遇し、急きょ近隣の敷地に引っ越しとなりその新築工事を東建設が請け負うことになりました。約三ヶ月後に完成したその店内は、木の香漂うすごく落ち着いた雰囲気を醸し出していました。「いいなーこんな木の家に住めたらな―」とグラスを傾けながらしみじみ思いました。「としちゃん、今度展示会するから、よかったら見にこんかいね」と東さんは、あれこれ言う前に自分が作られたモデルハウスに連れて行って下さいました。タイミングも良かったんですね。実際に見るのとイメージでは大きく違いますから。二度目の展示会を見たときです。家のつくりが、あのいきつけの飲食店と同じ「木の家」でした。天井は、梁が剥き出しで高く、杉板のリビング、琉球畳の客間とこじんまりした中にも格調があり、なによりも生活がしやすそうで、居心地が良く、やすらぎを感じました。その時同伴した女房も非常に気に入ったようで、お互い「木の家」が好きなんだということを再認識するとともに、いっきに自分の中でどんな家が建てたいのかという具体的なイメージが膨らんでいったことを思い出します。
しかし、具体的なイメージが膨らんだといっても、どこに建てるのか、いくらくらいかかるのか、どんな設計にすればいいのか皆目見当がつきません。そんな時、東さんが「としちゃん、まずあんまりむずかしいこと考えんと自分が想う家を自分で描いてみんかいね」と言われました。その一言で「楽」になりました。この「楽」とは、ホッとしたという「楽」と、さあどんな家にしようかなという楽しみの「楽」でした。営業のはしくれとして日々お客様と対面している私は、ともするとコストメリット、商品の利便性等自分サイドでお客様に対応していないだろうかとも感じました。自分がお客様の立場に立ってみると、東さんが言われた「わからんでもいいからまず自分の家を自分で考えてみよう、描いてみよう」というお客様サイドにたった接し方が非常に新鮮に思えたと同時に自分の家に対する意欲、愛着が湧いてきたのでした。そして夢を描いた自分たちの第一作目のレイアウトを設計図にして頂いたのが2008年5月29日です。なんと竹村家完成引渡しの3年以上前のことなんですね。そして、今ここに当時の図面の日付けを見ると、「完成家屋の原型」が出来たのが、2010年3月8日です。この間だけでも十数回に渡り、東さんに根気よく来て頂いたことになります。本当に長い期間待って頂いたと今更ながら恐縮しています。
しかし、自分でというか家族全員で考える家つくりは、それは楽しいものでした。「ウッドデッキが欲しい」「二階にトイレもいいなー」「今度は念願の屋根付駐車場やな。その上にバルコニーがあったらもっといいなー」「収納は多いほうがいいよ」「風呂につかりながら庭が見れた最高やなー」
まあ今考えると好きなことを言っていたものです。その都度東さんは、それらを考慮して図面を持ってきてくれました。そして自分たちの意思を尊重しつつ、プロとしての的確なアドバイスを頂きました。私は、そこに、いつもお酒を飲んで楽しい話で盛り上がる東さんとは、全く違う「仕事人」としての東さんに何度も気づかされました。今もそうですが、まず、必ずキッチリ約束の5分前にこられます。ウソではありません。本当です。そして、アドバイスも自分たちの意見を最大限尊重しつつ、無理なことは無理とハッキリと言われ、それがなぜダメなのかを話されたあと、その打開策を知恵を絞って考えてくれるんです。このような営みには、当然女房も子供たちも参加していた訳で、2010年3月「現在の家屋の原型」ができた時点で、女房に「東さんにお願いしようと思うんやけど・・・」と言いました。女房は、ニッコリと二つ返事で「おとうさん、東さんにお任せしよっ!」と言ってくれました。それからは、「絶対実物を見ないと・・・」と言われる東さんの車に便乗し、キッチン、ユニットバス、トイレ、部屋の扉と出来る限り現物を見て回り、いっしょに悩んで頂き、アドバイスを頂きました。そうそうこんなことがありました。自分たちの壁のクロスで悩んでいた子供たちは、親の私でなく、東さんに相談しようと図々しくも直接電話をし、来て頂いたことがありました。本当に申し訳なく思うと同時に、東さんは子供たちにとっても知らず知らずの内に絶大な信頼があるんやなーとしみじみ思ったものです。
忘れもしません。棟上の日が、あの東北関東大震災の起こった3月11日でした。東社長を先頭に東建設の皆さん、筆頭大工である小林さん、酒谷さん、そして応援に駆けつけて頂いた複数の大工さんのお力で無事棟上を終えることが出来ました。自分の胸中は複雑なものがありましたが、東北の震災で被害にあった方々のことを心で祈りつつ、竹村家の無事な完成も合わせて祈りました。家の引越しに始まって、解体、地盤調査と改良、基礎、足場組み、棟上、瓦敷き、電気工事、クロス張り、建具作成・取付、そして家そのものの大工仕事と携わって頂いた皆様には言葉に言い表せないくらいの感謝の気持ちでいっぱいです。仕事中に挨拶させて頂いたその人たちは皆さん謙虚で温かく黙々と仕事をされていました。特に筆頭大工である、明るくて元気な小林さん、またこちらから話しかけないと、まあ滅多にしゃべることはないという、いかにも「これぞ職人」といった感じの酒谷さん、お二人には数ヶ月に渡り、輪島から住み込みで来て頂き、その匠な技をあますところなく、日々拝見させて頂きました。そしてみなさんそろって本当に腕の良い職人さんでした。このように皆さんのお力により、我が家は、大震災の影響により資材調達面のアクシデントがあったにも関わらず、計画より早く無事6月末に完成の運びとなりました。
最後にどうしても話したいことがあります。それは東さんが社長をされている東建設のことです。東さんとは数十年来のお付き合いをさせて頂いてましたが、奥様の美代子さん、息子さんの崇史さん、その奥様の美香子さん、そして高田圭さんとは、当たり前ですが、何の面識もありませんでした。しかし、その皆さんが最初に総動員でご苦労頂いた家の引越しに始まって、家の解体、足場組み、棟上、そして入居時と日を追うごとに、何と言いますか、心の底から「あっ、やっぱり東建設にして本当によかった」と言う安心感といいますか信頼感が東社長同様に深まっていきました。
崇史さん(そのように呼ばせて頂いてます)は、社長のことを口では「親父は頑固や」といってますが、本当に尊敬していることが、第三者の私が見ていても、イヤ第三者の私だからこそヒシヒシ感じ取れました。また反対に社長も崇史さんのことは、やはり「まだまだや」と厳しいことは言われるんですが、「まあ、設計は確かにすごいけど・・・」と認めるところはシッカリ認めた上で、まだまだと言われる中には、いつも期待とともに深い愛情が感じられました。「男と男の・・・」「親父と息子の・・・」。男にしかわからないこの気持ちを自分も息子である勇樹にダブらせていました。「こんな風になれたらいいなーって・・・」。
社長婦人の美代子さんは、いつも穏やかでサッパリした人柄の中に品があり、思慮深い方です。この方なくしては東さんのスーパースターぶりは語れないと思います。そうそう、そう言えば美代子さん、大道具が運ばれた引越しの日、ささやかに慰労会をさせて頂いたのですが、その場面を、しかも我々家族を中心にした写真を撮って頂いていました。翌日、社長がこられて、「としちゃん、ハイこれ」と手渡されたA4版1枚の中には、Photo Album2011 07 06と名うって、七夕の短冊のイラストとともに周りを向日葵のイラストで縁取られた4枚のスナップ写真が載っていました。「娘と息子」「女房と娘」「私と弟と崇史さん」そして「全体」と自分たちでは、なかなか気がつかないけど、あればこんな嬉しいものはないといった記念の瞬間を撮って頂き、その思いやりに本当に感激するとともに、なぜこんな温かい心配りができるのか頭が下がりました。さっそく女房と居間の大黒柱の向かいの板壁に貼らせて頂きました。
心配りといえば、崇史さんの奥さん美香子さんにもたいへんお世話になりました。美人で明るく聡明な美香さん(そう呼ばせて頂いてます)ですが、足場組みの日に社長、崇史さん、圭さんといっしょにこられた時、「まさか」と思いましたが、その華奢な身体でやおら足場を組み始められた時には本当にビックリしました。その時は、社長とタッグを組まれてましが、「お父さん」「お父さん」と言っている姿には本当の親子のようで「いいなー」と思いました。心では思っているのでしょうが、あんまり人前で人を褒めることはないシャイな東さんも、美香さんのことは、「自分の娘と同じや」と飲んだときにおしゃってました。美香さんには、引越し時にキッチン周りの片付け等をその場でテキパキとやって頂き、女房は「お父さん、こんなことまでして頂いたんよ」と深く感謝していました。台所のことは、男の自分にはわかりませんが、思うに、きっとすぐに必要な場所、すぐに使うものということで、女房に場所を聞きながら、食器類等を収納されたのだと思います。後日、店に売っているより、おいしいシフォンケーキを頂きました。本当においしかったです。今度女房に教えてやって下さい。
最後に圭さんです。本当に緻密な図面をしかもパソコンでの三次元の立体図で作って頂き、すごくイメージが膨らみました。最初のころは、この立体イメージ図が非常に心を動かしたといっても過言でありません。多くは語られませんが、非常に朴訥とした人柄で、誠実な方でこの方の図面なら間違いないといつも思っていました。実際、ご自宅へもお邪魔し、参考にさせて頂きました。本当にありがとうございました。
こうやって振り返って見ると、本当に東社長を中心とした深く強い絆を感じられずにおれません。私は、今回ご縁があって東建設に家を建てて頂きましたが、多くのことを学びました。生意気な言い方ですが、東建設の皆さんを見ていて、このように思ったんです。家族で言えば、東社長が大黒柱の「お父さん」そしてその片腕である崇史さんは、「お母さん」あとの皆様は、関連業者さんも含めて「家族」のように思いました。お父さんとお母さんは、喧嘩することはあっても、お互いを尊重し、常に家族を思い、大切にしています。家族もお父さん、お母さんのことを思いつつも、時にはお母さんに相談したり、お父さんに叱られたりとそのような「絆の強い家族」のように感じました。それが東社長の想いでもあるんでないかと・・・。そのような皆さんに建てて頂いた家が悪いはずがありません。私たちが好き勝手を言っていた「今度は念願の屋根付駐車場やな。その上にバルコニーがあったらもっといいなー」他いくつかの夢の要望は、全て予算の範囲内で実現しました。
娘がぽつんと言いました。「今、家にいて、ゴロンと板の間に寝そべれる。なんの違和感もなく・・・。これは、きっといつも東さんがいっしょにいてくれていっしょに私らと色々家のことを真剣に考えてくれていたからなんやね。もし、まかせっきりで、いきなり新築の家に入っても、そんな気持ちにはなれんかったと思うよ」と言ってました。本当にそのとおりです。自分たちも今回の家つくりは本当に時間がたつごとに真剣味が増していきました。でもなんといっても、それを実現させてくれたのが、娘もいうように毎回のように東さんが足を運んでくれたからなんですね。そのプロのアドバイスが、外壁の縦張りに始まって、大黒柱を中心としたリビング、キッチンの一体型空間、十分に広いトイレ、狭い空間を工夫して広く見せた(実際広い)玄関、キッチンを少しでも広くしようとした引戸の位置がえ、広い収納庫と限られたスペースを本当に無駄なく利活用し、あらゆるところに細かい配慮がされているんです。もちろん動線も考えた上です。だから自分たちの想い描いた家がそのまま形となって現れている今、大満足している背景には、本当に知恵を絞りきった上での緻密な計算がされていることを決して忘れたらいけません。「住みやすさ」「シンプルさ」「動線に無駄がない」そしてなんと言っても「木のぬくもり」本当に満足しています。
最後になりますが、もう一つ感謝しなければいけません。それは近所の皆さん、行き着けの飲食店のママさんと常連客の皆さん、会社や地元の友人、そして親類の皆さんにはたくさんのお祝いと激励を頂きました。特に近所の先輩方は、亡き父や現在、施設に入居中の母のことを「自分たちが若いとき本当にお世話になった」と駐車場を貸して頂く等、家屋完成まで温かく見守って頂きました。そういう意味合いでは、父母にも本当に感謝しなければなりません。、本当にありがとうございました。
今しみじみ思うことは、この家には、本当に東建設、東社長を初めとしたくさんの皆様の想いが詰まっているということです。そのことを私たち家族は決して忘れてはいけないと思うのです。そして親子二代でこの土地に家を建てられたことを亡き父に「心からありがとう」と言いたいです。今私たち家族は、本当に本当に感謝の気持ちでいっぱいです。末永く大切に大切にそして私のモットーである「明るく」「楽しく」「元気な」な我が家を築き上げていきます。
東建設で本当に良かった!
東さん、そしてみなさま、本当にありがとうございました。
平成23年 8月6日
一本筋の通った男とその家族